2015年8月18日火曜日

生録: 沖縄で会った人、聞いた話、知ったこと その1 石川真生さん Part 3 「大琉球写真絵巻」にはまってる


沖縄とは、沖縄人とは。

怒りをこめて42年間の写真家人生の総決算。


「石川真生写真展:大琉球写真絵巻(パート1、2)」
会場:那覇市民ギャラリー。会期:2015年8月25日~30日


歴史をつづる絵巻の醍醐味


――展覧会が目前ですね。

石川真生:「大琉球写真絵巻」の展示会。6月末に三重県の伊勢市で3日間、7月初めに東京で1週間、8月には25日から30日まで那覇でやるの。県庁前にあるパレットくもじ6階の那覇市民ギャラリーでね。那覇ではパート1とパート2を展示する。1m×30mの1枚の布に22点の写真をプリントしているのよ。それの二つ分だから全部で44点。絵巻物にしようと思ったの。

NHKで日曜美術館ていう番組がある。私、あれが大好きでさ。それ観たら、屏風絵とか、物語がずっと続く絵巻物が出てきて、「あ、いいな」と頭のどこかにあったわけさ。現在を知るためにも琉球王國時代からさかのぼって沖縄の歴史を観てみようと思った時、「あっ、絵巻にしよう」とパッと頭に浮かんだの。クルクル巻いたら移動できるしね。


でかい布だからさ、観客が「大きいから入りやすい、観やすい」って言ってくれた。東京の現像所でプリントしてくれたんだけど、技術が高いからきれいなのね。実は布の方が展示する時に技術的に非常に難しいっていうのが後でわかった。型がつくのよ、布であっても。紙は折れたらだめだけど、布も型がつく。だから結構、慎重にやらないといけない。みんなでよいしょっと7人くらいで持って同時に貼らないといけない。まあそういうややっこしいのがあるけど、でも結局、迫力あるからみんなが喜ぶしね。私も気持ちいい。はまりましたわ、この大きさと布という素材に(笑)


「琉米修好条約」1854年、ペリー提督率いる米国艦隊が琉球國へ。身勝手な「琉米修好条約」を押し付けた。
これを現代版に置き換えうると、米国は「いつまでも沖縄にいたい。なぜなら、思いやり予算があるから」。


ブラックジョークもたっぷりの創作写真


真生:「大琉球写真絵巻」は、琉球王國時代、1609年の薩摩藩が侵略して来る直前ののどかな風景から始まって、現在にいたるまで。日本の支配が続いて途中から米軍が加わる、本当にあった歴史的な事実を取り上げている。安倍政権になってどんどんひどい世の中になっている。今を知るためには琉球王國時代から観ないとわからないということでさ、薩摩が来た頃から観ようと決めたわけ。歴史的にあった事実を、でも場面は私が想像をたくましくして創り上げた。日本政府と米軍に対する批判だから、私のは。ブラックジョーク、風刺もうんと効かせているわよ。

―――歴史を踏まえてはているけれど、真生さんの世界。

真生:報道写真でも、ドキュメントでもない。創作写真だね。ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画『沖縄うりずんの雨』のプロデューサーの山上徹二郎さんが、「こんな写真は、これまでなかった。新鮮だ」って言ってくれた。『沖縄うりずんの雨』には私も出ている。私の東京の展覧会は、山上さんと、三上智恵監督のドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』を製作した「ドキュメンタリージャパン」のプロデューサーの両者がおかねを出し合ってスポンサーになってくれたんだよ。それで、実現できたの。非常にありがたいことだわ。

「謝名利山」:1609 年4月、薩摩が琉球へ侵略。武器を身に帯びる習慣のない琉球は刀や鉄砲を持つ薩摩軍に惨敗し、琉球王國の三司官(3人制で行政の最高責任者)は薩摩に連行された。連行されたなかでただ一人、「琉球の自由なくして生きるかいなし」と薩摩が強要する政策への署名を拒否した利山は斬首刑に処せられた。

 ノーギャラ 手弁当 安倍政権と米軍への批判で出演者と心はひとつ


――出演者の衣装は、どうしたの?

真生:カンプー(まげ)を結っている琉球王國時代のものは、沖縄芝居の劇団とか村芝居をやっている友人から借りた。かつらや衣装を着けさせてもらったりして、大変お世話になったの。現代の衣装は、ほとんどが出演者の自前、着けてきてね、探してきてねって。貧乏なので、いかにかねをかけないでやるか、工夫しないとね。みんな、ノーギャラで出演してくれた。遠くに行く時にはランチだけおごるね、って。あとはみんな手弁当。

ただし、写真絵巻は私の安倍政権と米軍に対する批判だから、その趣旨を受け入れる人だけに出てもらった。みんな安倍政権に怒っていたから、演技を何回もやり直すうちに感情が入ってとてもいい表情をしてくる。みんな素人だけど、まるで本物の役者のように演技がうまいのよ。去年、那覇でパート1の展示会をした時、観客が「えっ?素人なの。みなさん、プロの役者かと思った」と、感心していた。


「海上保安官」:米軍の新基地建設に向け工事中の海で、海上保安官が抗議船に乗り込んで来て暴行。海保に馬乗りにされる島尻安伊子参議院議員と、首根っこをつかまれた安倍首相。暴力団・海保にやられてみるがいい。

新基地建設問題・普天間全面撤去が決着するまで写真絵巻は続ける


―――いつ頃からの企画?

真生:オスプレイは普天間飛行場にどんどん配備するわ、止まっていた辺野古の新基地建設も始まったわで、沖縄を植民地扱いして平気な安倍政権にワジワジー(怒り心頭)していた。その怒りを「大琉球写真絵巻」で表現し、知事選の前に出そうと、展示会を去年(2014年)の9月にやると決めた。撮影は1年ちょっとかかった。
    
そしたらさ、展示会までに間に合わない場面がいくつか出てきたの。でも、知事選前にどうしても発表したかったので、「間に合わない場面はパート2に入れよう」と、即決めたの。それにパート1の撮影終了後に辺野古の現場で次々といろんなことが起こったしね。それでパート1に続けてパート2を撮影して、始めに東京で発表することになったの。

だけど、パート2の撮影が終わりに近づいたころ思ったのね。新基地建設問題は決着してない、普天間飛行場も全面撤去されてない。この二つが決着つくまで写真絵巻は続けるべきだ、という気持ちになったの。現在パート3の撮影に入っているわけ。

「追い出せ〜!」:沖縄に基地をどんどん押し付ける安倍晋三首相と石破茂自民党幹事長を、
沖縄人が「魔除け」のシーサーを先頭に沖縄から追い出そうとしている。


パート3では未来の沖縄像も


真生:私は沖縄人と沖縄に関係する人の写真しか撮らないから、「大琉球写真絵巻」には歴史的場面だけではなくて、私が出したい人たちも入れることにしたの。もちろん、写真絵巻は日本政府と米軍の批判だから、それに関係した人たちだよ。だから8月の展示会が終わったら、パート3の撮影に走らないといけない。実は6月末に、パート3に入れるつもりで知り合いの男の子を撮影したの。だから、もう始まってるんだよ。

未来の映像をね、想像たくましくして作ってみたらって、ある人にアドバイスされたの。私が勝手に想像するわけ、沖縄の未来を。後はさ、面白いキャラの人とか、ぜひ紹介したい人がいるわけ。それを私なりに選んで、入れるつもり。

大体、撮ったら本を作ることにしてるんだけど、今回は展示会で観せるっていう方に力を入れている。もし興味をもって本にしようという出版社が出てきたら別だけど、自分から積極的に本を出そうと働きかけることは今はないわね。それよりも撮影のことで頭がいっぱい。

―――本で見たい人も、たくさんいるでしょうに。

真生:今は撮るので精一杯だから。出演者を決めて交渉する。衣装を調達する、場所を選定する。もっと大事なことは、どんな場面を作るか考える。そのためにもっと沖縄の歴史を勉強する。それだけで今はめいいっぱいだよ。

―――場所はどうやってみつけたの?

真生:いろんな場所が私の頭の中にある。このイメージはあそこだってパッと浮かぶの。あるいはイメージを伝えて人に探してもらったりとかさ。私、写真家人生42年の間に人しか撮らなかったし、いろんなタイプの人を出してきてるから、おかげで引き出しがいっぱいあるわけ、頭の中に。得たものもいっぱいある。全部、私の写真に反映されてるよ。

いろんな人を撮った、いろんな場面を撮った、いろんなところを知っている。それが非常に役立っている。その蓄積が写真になって表れている。おかげさまでかねのない私にみんなが協力して、ノーギャラで出てくれたりとかね、大変ありがたいことだわ。

みんな、怒っているから。政治に対する怒りがどんどんふくらんで、演じているうちにのめりこんだりするわけ。終わったらくせになったみたいで、「また出たいから呼んでね」っていう人が結構、何名もいたりするのよ(笑)。だけど、私の友だちだけではどうしても人材不足になる。その時は「ねえ、誰かいない?」って友人たちに声かけて出演者を紹介してもらう。そうやって広がっていく。ずいぶん友人・知人には助けられている。

1970年に起きた「コザ暴動」

ススキが生えてるコザでいい


――人が財産だよね。真生さんの場合、特にそうだと思う。

真生:まさしくその通り。人を知っていないと、こんなにいっぱいの人を集められないよ。素人の芝居だけど、その手作り感をもろ出してるからさ。たとえば、「コザ暴動」という、コザで米軍の車を焼き討ちにして民衆が暴動を起こしたことがあったんだけど、「大琉球写真絵巻」の写真ではね、煙も立ってないし、火もついてない。自動車屋さんが修理工場をもっていて、つぶれた車を解体屋さんに売るために積み上げているところがあるわけ。すぐ後ろには、ススキがいっぱい生えている。そこでしか撮影できなかったのよ。

コザの街中、ビルディングが立ち並ぶところで、カービン銃持っていたり、石投げようとしてるような風景なんて撮れるわけないじゃん。すぐ警察が飛んで来るよ。ビルディングじゃなくて、ススキがあっても、煙が立っていなくても、火がついてなくても私はそれでいいのよ。そんなことしたら、消防が飛んで来るし、警察が飛んで来るよ(笑)。自動車屋さんに迷惑をかけるなんてできないよ。かねをかけないでできる範囲で撮ればいいのよ。

コザ暴動は戦後の沖縄の歴史の中でも、とても大事な出来事。私は人権無視の横暴な米軍に沖縄人の堪忍袋が切れて起こった暴動を、よくやった!と誇りに思っている。米兵と沖縄人が対峙している、これだけが私にとって必要なの。

歴史に忠実に場面を再現するというのが目的ではないからできる範囲で創るのよ。火はこうしたら表現できる、煙はこうしたら出せる、とか、FACEBOOKの投稿でいろいろアドバイスしてくれる人がいた。そしたら、もっと現実に近いと言いたいわけよね。だけど、私そこに力を注ごうとは思わない。非常に大雑把でさ(笑)。

でも、演技には力入れるの。もっと顔をゆがめてとか、演技指導はちゃんとやるわけ。顔の表情に力入れたわよ、監督だから。カメラマンでもあるし、脚本家でもある。全部の係りを背負っている。小道具係でも、プロデューサーでもある。時には現場で「これはどう演技したらいいかねえ?」って出演者にアイディアを聞く。私のアイディアよりよかったら、みんなから出たアイディアをその場で採用する。楽しいわよ、撮影現場は。ミニ映画を作ってるようなもんだから。


ロケ現場

息をひそめて心配して見守る地域の息づかいを感じる


――かねのない現場って、楽しそう。


真生:何年もかけて資金を集めて、その資金で立派な場所や道具を借りたりということで創っているわけではないから。資金集めで時間を費やそうとは思わないよ。


現在起こっていることも出している。時間との勝負だよ。今、見せたいわけだからね。沖縄人の一人として、自分の表現として「私は怒ってる」というのを見せたい。


私が辺野古に行って、その現場をそのまま撮ることはない。私は自分のイマジネーションを働かせて、自分なりの場面を創る。でも、現場に行かないと実態はわからないから、船に乗って海保が抗議する人たちに暴力ふるうのも見てきたし、ゲート前の行動も見てきた。その上で場面を創作している。

私は辺野古の取材を1996年から始めている。普天間飛行場移設に反対、容認に関わらず辺野古を始め久志地域でいろんな人間模様を撮影して来た。表に出ない地域の葛藤を見て来た、仲の良かった区民が分断される様を見て来た。どうなるのか、息を潜めて心配して見守っている地域の息づかいを感じる。

辺野古の「新基地建設」だけではなく、沖縄にある米軍基地、自衛隊基地に私は興味がある。戦後70年もたった。いい加減に沖縄にあるすべての米軍基地は撤去させないとだめだわ。沖縄から海の向こうの国の人々を殺しに行く米軍の手助けをする島でいることを止めないとだめだ。

自衛隊は外国に出すべきではない。専守防衛のみ。軍備の拡張なんてとんでもない。米軍の戦争に加担するなんてアホか。自衛官の命を粗末にするな。戦争放棄の平和憲法のおかげで日本は平和な国でいれたんだからこれからもそうでないといけない。二度と戦争なんてごめんだわ。そんなことを最近考えている。パート3でどう表現しようか?毎日考えている。
 
『沖縄 うりずんの雨』のジャン・・ユンカーマン監督と真生さんのツーショット。
東京での「大琉球写真絵巻」展の会場で。友人のSakurai Marikoさんが撮ってくれました。

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