2017年12月20日水曜日

ナビサレ村のアヘド



ナビサレ村のアヘド・タミミがイスラエル軍に逮捕された。16歳の女の子。2016年に訪れたナビサレ村は人口600人の小さな村。毎週金曜日に時には海外からも支援者がやって来る抗議デモで知られていた。私はその夏の一夜、インターフェース・ピースビルダーというパレスチナ支援グループにまじって一晩タミミ家に泊めていただいたのだが、その頃、タミミ一族がリーダーとして続けていた非暴力デモは、停止されたばかりだった。タミミ家の居間のテーブルには、イスラエル軍が使用しているさまざまな武器の弾丸が置かれていたが、軍の武器使用があまりにも危険になってきたので、抗議を一時停止せざるをえなくなったと、アヘッドのお母さんのナリマンが話してくれた。




ナビサレ村の、いまにつらなる苦難が始まったのは、1976年のことだった。村の向かい側の丘の頂上にイスラエルの入植者が現れてウェストバンクのこの地に勝手に入植地を作り始めたのだ。この時はナビサレの村人が訴訟を起こし、幸い勝訴となって入植者は姿を消した。

ところがその翌年、右翼のリクード党が選挙に勝ち、ベギン政権が誕生すると、入植者たちが戻ってきた。国は軍事的に必要だと称して村の土地を接収し、入植者にあげてしまった。いまでは入植地の人口は1200人に膨れあがり、村人の2倍に達している。


2000年代にはいると、軍は向かい側の丘の斜面すべてを軍用地と宣言し、村人の立ち入りを禁止したため、村人は自分たちの土地だった畑で働くことができなくなった。いま、我が物顔で畑を耕し、作物を得ているのは入植者たちだ。村の土地の4割が入植者の手に落ち、村人がはいれず空き地となっている場所も入植地をどんどん広げるために確保されてしまっている。

村の南側、入植者のいる丘のふもとに泉がある。入植者たちはそこにプールを作り、憩いの場所にし、村人がその水を使って作物を育てようとして近づくと入植者は暴力をふるったり威嚇するようになった。



「私たちには、自分の土地で働く権利がある」、世界に向かってそう訴えようと村人たちが泉に向かって始めてデモをしたのが、2009年の12月。それが、毎週、金曜日の家族総出の恒例デモのはじまりだった。

入植者を守るのは、イスラエル軍。タミミ家の子供たちは、赤ん坊の頃から家の中に向かって撃たれる軍の催涙弾にさらされて育ってきた。アヘッドのお父さんのバッセムも、お母さんのナリマンも何度も逮捕され拘束されてきた。今回も、逮捕されたアヘッドがどこにつれていかれたのかを聞くために当局にでかけて、ナリマンもまた、逮捕されてしまった。


私たちがタミミ家を訪れたとき、ベツレヘムからやってきた年季のはいったパレスチナ人アクティビストのムンターさんがこういった。「ナビサレはね、女の人たちがリーダーだからすごいんですよ。心から尊敬しています」。

家族ぐるみの誇り高いプロテスト。それでも誰かがいつものように傷つき、逮捕される。親として子として兄弟姉妹として、心が張り裂けるような日々だろう。でも、タミミ一家は、その中で暮らしを楽しみ、希望ということばを使うのもはばかられるような状況の中で、かげりを見せずにいちずだ。



ビリン村のイヤードさんがこの間、ニューヨークを訪れたとき、少しだけお話しできたのだけれど、ナビサレは人里離れた小さな村で、国際的な目がなかなか届かないから、よけいに大変なんですよ、とおっしゃっていた。

イスラエルではパレスチナ人の身になにがおきているか、イスラエル・メディアの報道はごく少なく、ハーレツ紙の看板記者アミラ・ハスさんも読者は海外にいると話していた。



外にいる私たちだから、できること。微力ではあっても、パレスチナからの声に耳を傾け、わずかばかりでも知っていることを伝えていきたいと思う。



英語の本ですが、ナビサレのタミミ一家については、Ben Ehrenreich 著の"The Way to the Spring" に詳しいです。

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